オスマン帝国料理について

遊牧民の食卓から今日のトルコ料理まで

オスマン料理は、オスマン帝国の発展とともに変化してきた。オスマン帝国建国初期のアナトリアでは、オスマン料理は遊牧民の料理そのものであった。しかしブルサの征服とともに都市化が始まると、オスマン料理は徐々にビザンツ帝国の文化を取り入れ始めた。

オスマン帝国を建国した人々は遊牧民であるトルコ民族であった。このため中国北部、インド、ペルシャ文化に影響されていたはずである。また逆に、遊牧民の調理法が定住民にもたらされることもあった。初期のオスマン帝国では羊とヤギが盛んに食べられていた。これは遊牧文化の名残である。今日でも、トルコでは羊とヤギが多く消費されている。

そのほかの遊牧文化の影響で食べられている食材といえば米であろう。米は中央アジアからもたらされたものであると同時に、腹を満たすのにちょうど良い食材である。トルコ人によれば、米料理を世界で最も得意とするのはトルコ人である。今日、トルコとイランの他、美味しいピラフに出遭うことは難しいはずだと彼らは主張している。

肉とピラフのオスマン帝国は、バルカン半島に領土を広げるとギリシア料理の影響を受けた。オスマン帝国の料理は現地の料理と出会って変わっていったと言える。というのも、オスマン帝国はトルコ民族だけの帝国ではなく、様々な民族からなる多民族帝国であった。そしてこの帝国の基盤は寛容性にあった。生活のいたるところで、音楽から衣服まで融合と変化が起こった。

もっともイスタンブールの文化だけは、東ローマ帝国の文化が色濃く残ることになった。オスマンの人々はこの都市からも新たな料理を学んでいった。オスマン帝国は15世紀、16世紀、東・北アフリカへ進出、さらなるオスマン料理の発展をももたらすことになった。特に、香辛料の使用とスイーツについてはアフリカからの影響が強い。

アメリカ大陸の発見とともに、トマト、ジャガイモ、ピーマンのような新たな食材が西洋化とともにオスマン帝国へやってきた。オスマン料理の根本は揺るがなかったものの、食卓はより色鮮やかなものとなった。このようにして、こんにち我々が食べるトルコ料理が形作られてきたのである。

 

翻訳者:岩田紗知

情報源:www.tasfed.org

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