シルクロード:突厥之路 5

GRT(グルメトルコ)特集

第二日目:サマルカンド


・サマルカンドについて

赤い砂という意味のクズルクム沙漠に囲まれたオアシス都市(だから砂嵐に巻き込まれた)。古くはソグド人の交易都市。

ソグド人はペルシア系の人々で、日本人と近い顔立ちのトルコ人とは顔立ちが異なり、鼻の高い顔立ちであったらしい。沙漠に浮かぶオアシス(漠島)で農業を営むほか、もっぱらシルクロードの商人として名をはせた。そのソグド人のオアシス都市の中でも強力だったのがサマルカンドである。

8世紀にはイスラーム教徒による、11世紀にはトルコ人による支配を受けたことにより、住民のソグド人はトルコ語を話しイスラームを信じることになるが、諸オアシス都市の雄としての地位は保ち続けた。

13・14世紀のモンゴル時代を経て、1370年にはティムールがサマルカンドに都を置き、新疆からアナトリアまで広がる大帝国を築いた。ティムールは1402年にはオスマン帝国の雷帝バヤズィトを破るなど、まさに最強の君主であったためか、ウズベク人はティムールが大好きかつ「三大陸を征服した」オスマン帝国を「ティムールに敗けた国」として記憶している節がある。

ティムール朝の滅亡から1868年にロシア帝国に征服されるまでは、隣町のブハラの支配を受けた。現在のウズベキスタンでは立派な文化・観光都市となっている。観光で目にする遺産のほとんどはティムール朝時代のものであり、世界史の教科書ではあまり扱われない王朝ではあるものの、いかに豊かな大帝国であったかが窺われる。

 

・ギューレ=エミール廟

ホテルで倒れこんだ後、外に出てみると砂嵐が嘘のように晴れ。内陸の覇王・ティムールの眠るギューレ=エミール廟を見学、すると雨が降ってくるという有様。

廟はレギストン広場の大建築群に比べれば小ぶりではあるものの、イスタンブルのスレイマン大帝に比べればかなりの立派さ(もっともスレイマン廟の場合は隣のスレイマニエ・モスクが途方もなく大きいが)。そして思っていたほどには「蒼く」ない様子。おそらくタイルではなくレンガに着色しているために、色が落ちているのではないかと思われる。

しかし中に入ると覇王そのものの空気、壁からどこまでも高い天井にかけて星やら直線やらで細かい幾何学模様、そして輝く金色。この廟に眠る者ならオスマン帝国から明帝国まで(ティムールは中国遠征の途上で崩御した)征服できたであろうことがよく感じられる。

 

・ウズベク人の性格

夕刻、廟の見学を終えてレギストン広場からビビ・ハヌムに抜ける遊歩道を歩いていると、こちらに話しかけてくる青年がある。初対面で思いっきりウズベク語で話しかけてくるが、こちらがトルコ語話者でなかったらどうするつもりだったのか。

彼とともに歩いていると、どんどん人が集まってきた。見るからにアジア系外国人で彼らに理解できる言語をしゃべる自分はそうとうにウズベク人の興味を引いたようである。

ここで発見したのが、ウズベク人の性格がトルコ人のそれに近いということである。というのも、トルコ人はまったく知らない人にあたかも旧知の友であるかのように話しかけられるという特性を持っている(ような気がする)。ウズベク人の「とにかく話しかけてみる」というふるまいは、トルコのトルコ人とウズベク人が同じ「トルコ人」である感覚的傍証になっているようないないような・・・・。

この日はウズベク人にホテルまで送ってもらって終了、ご飯はサマルカンド・ケバブというものを食べたものの、鶏肉を焼いただけというなにがサマルカンドなのかわからないメニューで、紹介するほどのものではなかった。

永島 育

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