
第七日目:タシケント
(タシケント→アルマトゥ)
・チャイ
ウズベキスタンのチャイは急須に入っており、しかもいわゆる「茶」碗でいただく。中身も緑茶(写真のものは光の関係で紅茶のように見える)であり、トルコに比べると徐々に日本に近づいている雰囲気がある(もっともトルコでも昔は茶碗でチャイを飲んでいたそう、チューリップ型のコップの流行は現代史の範疇に入るらしい)。
本日はタシケントを夕方に出発、ウズベキスタン航空でカザフスタンのアルマトゥに向かう予定。それまではタシケント観光に充てる。ところでタシケントからアルマトゥまでは寝台列車が出ていたらしい。飛行機予約前に知っていればそれに乗ったところであったが、あとの祭りである。
ともかく朝食とたっぷりのウズベク・チャイ(ギョク・チャイ)をいただいて街に繰り出す。タシケントのホテルは完全な住宅街の中にあるものの、ロの字型をした伝統的な建物で、隊商宿といったおもむきでよいホテルであった。
・ティムール像
タシケントはロシア帝国による中央アジア征服後、トゥルキスタン総督府が置かれた街であり、ソヴィエト革命の基地にもなったソヴィエト史上においても重要な大都会。しかし思ったよりも社会主義らしい大仰な建築も少なく、ごく普通の都会といった感じ。
・国立歴史博物館
大トゥラン通り、そんな名前の通りにあるのがウズベキスタン国立歴史博物館。まさにトゥラン(ざっくり言えば「トルコ人」が駆けた土地)の中心たるウズベキスタンの歴史を物語るこの博物館は思ったより小ぶり、かつ閑散とした様子。
なかで目を引くのはシルクロード全盛時代の仏像、こんな遠くまで仏教が流行していた時代もあったのである。じつにNHK特集のような雰囲気である。個人的に気に入ったのはブハラ汗国を中心に据えた近代史ゾーン。ブハラを主人公にした近代史というのは見たことがなく新鮮であった。ブハラ人民共和国とか。
タシケントはよく歩いたけれども、ブハラという地獄のおかげかまったく暑さを感じることはなかった。ピラフさえ食べられていればもっとよい滞在になったはずである。日があるうちに市街地に異常なほど近い空港へ、ソムが大量に余ったが日本円にすると1000円もなかったかもしれない。
こうして、なぜか離陸前に水を提供するウズベキスタン航空に搭乗し、ウズベキスタンを後にしたのであった・・・・。
永島 育
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