シルクロード:突厥之路 10

GRT(グルメトルコ)特集

第四日目:ブハラ


・ブハラについて

こちらもサマルカンドと同様にオアシス都市、もっともブハラでは砂嵐にあわなかった。そしてソグド人の隊商都市になって大都市に成長した。漢文史料では安国と書かれ、ここから唐に移住したソグド人は安を名字にした(ちなみにタシケントは石国、サマルカンドは康国である)。盛唐にあった安史の乱の首魁・安禄山の名字の地はここブハラである。

8世紀初頭、この街はウマイヤ朝のクタイバ・イブン=ムスリムによって征服され、イスラーム帝国の支配を受けることとなった。中世最高の医学者であるイブン=スィーナー(アヴィセンナ)、イスラームの預言者であるムハンマドの言行録をまとめたブハーリーの故郷でもある。中世史の最重要都市の一つとも言えそうである。元来、中国の発明であった紙が中国外で最初に製造されるようになったのもこのあたりらしい。

16世紀後半からはこの地域を支配する王国の都がブハラに置かれ(ブハラ汗国)、モスクやマドラサ(神学校)が整備された。「聖なるブハラ」とはこうした賑わいを見せたブハラのことである。今回の旅行で訪れたブハラ・サマルカンドはブハラ汗国の領域である。対してタシケント・アルマトゥ・ビシュケクはブハラの隣国であったコーカンド汗国の領域である。

19世紀にロシア帝国がかなりの激戦の末にブハラを破り、巨大な帝国に加えることとなった。ロシア革命後には「青年ブハラ人」によって人民共和国が宣言されたり、反ソヴィエトの大叛乱(バスマチ運動)があったりと、やはりブハラは一筋縄ではモスクワに膝を折っていない。

西洋史の見方だとロシアは対オスマン・対トルキスタンでは連戦連勝なのであるし、結果としてはその通りなのであるが、東洋史から眺めるとロシアはかなり苦戦しているイメージである。結果としてソヴィエトの末期には国家の上層部にも非ロシア人(というよりも「トルコ」人)が着くようになるのだから、ロシアが征服したのかロシアが征服されたのかはわからないのであろう。


・ラビホヴズ

前回、というか四日目の昼食兼夕食を食べたのがこのラビホヴズという池のほとりのレストラン。この池は市民プールほどの大きさに、四方がマドラサに囲まれている。サマルカンドよりも強い日差し・暑さの中歩くので、無限に広く感じられた。

東側に建つマドラサは壁に美しいタイル装飾が施されている。白い鹿を爪にした鳳凰が太陽に向かってはばたくというモチーフ、太陽には顔が描かれている。含蓄のある絵なのだが、どういった物語なのだろうか。

この日はさんざんだった。ホテルはサイトでの表示位置よりも数キロ東にあり、ほぼ空港の近くであった。炎天下の中どれくらい歩いたことか、一時間二時間ではない。タクシー運転手の呼び込みもエジプトを彷彿とさせるものでしつこかった。ぼったくりなのも間違いない。勿論、道に迷っていると助けてくれる人もいたが。

家まで招き入れて果物などをすすめ、断りづらくさせてスカーフを売る土産物屋?にも引っかかって、果物まで食べて何も買わずに帰ってきた。全体的に、観光で食べている街はあまり好かない。

 

永島 育

次の記事

シルクロード:突厥之路 11

前の記事

シルクロード:突厥之路 9

Be the first to comment

Leave a Reply

Your email address will not be published.


*