
第五日目:ブハラ
・ミーリ=アラブ・マドラサ
16世紀建築のこの神学校、かつては内陸アジア一の「大学」であった。近世のイスラームの知識人は、およそメッカ、カイロ、イスタンブール、そしてブハラで学んだと言っていいであろう。マドラサの目の前のカラーン・モスク、広場にある大きな塔とともに、馥郁たる文化都市・ブハラのありようを伝えるのがまさにここである。
しかし暑い、まともに外を歩きたくない。湿気は限りなくゼロに近いためか、日陰に入っていれば涼しい。涼しい朝のうちにマドラサに行って、日が出ているうちはずっとマドラサで勉強をして、夕方に帰る生活を余儀なくされるはずである。すなわち、勉強にはとても良い環境であろう。知識人や情報、物資はブハラが交易路の真上にあるだけに、放っておいてもいくらでも来るであろうから、やはり良い街である。
それを裏付けるように市場は面白いものが並んでいる。鳥の形をした鋏なんかもあった。もっとも誰も人が歩いていない。一方でこの日は苦行のように外歩き。ラビ・ホヴズからミーリ=アラブ、またラビ・ホヴズ、ブハラ城壁、イスマーイール・サーマーニー廟、またラビ・ホヴズ、チョル・ミノール、ホテルと歩いた。合計で8時間くらいは歩いた(り見学したりした)と思われるので、かなり歩いたはずである。
・自動車
タシケント、サマルカンド、ブハラと来たわけであるが、ブハラは走る車のほとんどがソヴィエト車! ウアズ、ラーダ、モスクヴィチ、ヴォルガ(写真の車)をはじめ、実は自動車大国だったソヴィエト連邦。トゥポレフやイリューシンといった大手飛行機メーカーもあったソヴィエト連邦。モスクワでは見られなくなった往時の名車がまだ現役なのがここブハラである。
永島 育
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